2016年1月27日水曜日

いつもの魔法が効かない瞬間の焦り












魔法なんて言葉が存在しています。


魔法(まほう)は、
常人には不可能な手法や結果を実現する力のことであるらしい。
いつも通りに普通にモノゴトが綺麗に順調に流れて行くプロセスに
何らかの原因でバグリが生じて望ましい結果がどうしても出ない時。
またはタイミングが微妙にズレて、
数分単位での入れ違いや喰い違いが発生する瞬間。

意識や考え方の習慣も同じく思考回路もクロスして、
微妙なタイミングでスレ違い意図せぬ方向へと物語が脱線する。
思い描いている本心とは違う誤解を招いてしまう場合も含まれる。

喩えてこの状態の連続を言葉で表現するのであれば、
いつもの魔法が効かない瞬間の焦りとでも表現しましょうか?
精神内面に宿るいつもの自分らしさという信念が揺らぎ、
確固たるいつものコンディションや信念に近い自信が持てなくなる瞬間。
そんな心の不安定な隙間にタイミングのズレが生じて、
アイドリング不安定となるのかも知れない。

Toshifumi  Kako  



2016年1月7日木曜日

微妙な歯車の狂い











2016年01月06日の水曜日〜2016年01月07日の木曜日

アンラッキーな出来事が何故か連続で続く時。
意識していないけれどそれは微妙なタイミングの狂いとか、
偶然の組み合わせや繋がりが無いような日々の積み重ねが、
まるで連鎖反応を起こすように不運が連続して発生していく流れ、

アンラッキーな出来事に対する原因の種は随分と前に仕掛けられていて、
日常では運良くも何も発芽していない状態での時間の経過が重なる。
自分の意識の中で流れている普通の常識が通用していなかった場合の地雷。
この地雷は実際に踏んで見なければ判らない場合もあるから余計に考えさせられる。

人間の笑顔の裏に隠された本音と建前の微妙な違和感や取り繕った言葉の裏側。
その時は何も問題なくとも時間の経過で不運へとその仕掛けられた導火線は、
意識と感情によって不愉快な領域へと記憶が細く繋げられて行くのかも知れない。
微妙な歯車の狂いやアンラッキーな時間の流れを強く連続して感じる時。
それは間違いなく幸運の流れや神懸かり的な流れを掴む勢いや、
自分自身が持っていたであろうと考えられる運勢が落ちている時なのかも知れない。
目には見えない行動の運の良さとかラッキージンクスの魔法が効いている時代なら、
多分何も問題が無いようなほんの小さな小さな些細な出来事であっても、

運の悪い時はそれらが原因で、本来の流れから運悪くも連続して、
次から次へと呪われたかのようにunluckyな方向へと脱線して行くようにさえ感じます。
いつもと同じように自分の判断で行動していてもエネルギッシュな思考回路を、
支えてくれる強運や力強い潮の流れからは微妙に外れている不思議な感覚さえある。
とにかくやることなすこと全てが裏目に出てしまう、呪われているとさえ思ってしまう。
何をやっても上手く行かないアンラッキーが連鎖する瞬間があるのかも知れない。

変な潮の流れと重たい空気感の違いを言葉で表現するのは難しい。


Toshifumi  Kako  





BC 2130 75~90 NG return
SR 2 NG MIY 60 M NG SSSK NG month water
Kohoku STK CN 25 salt








2016年1月2日土曜日

正月と浦島太郎との関係 そして 浦島太郎物語とは何だったのか?




あけましておめでとうございます〜!

正月は自宅でのんびりと
須賀さんから頂いた美味しいお餅を
食べながら猫と一緒に過ごしております。

2016 01 02

正月と浦島太郎物語の関係

善行の末の異空間と竜宮城での宴。
そして契約としての絶対的な約束。
開けてはならない玉手箱の存在。
あけましておめでとうではない環境。
時間と寿命と老化現象について考える。

Story Taro Urashima 

正月という時間は、
特別な時間の流れと小さな竜宮城を体験。
正月の御節料理の器は何故か玉手箱のデザインに似ている。
自然保存から日持ちのよい賞味期限の永い料理が盛られる。
そして玉手箱の蓋は人間界での時間経過速度の再認識装置。
1年という単位の時間を思考回路の中に加速させる。

浦島太郎物語とは何だったのか?

漁師の浦島太郎は、
子供達が亀をいじめているところに遭遇する。
太郎が亀を助けると、亀は礼として
太郎を竜宮城に連れて行く。
竜宮城では乙姫(一説には東海竜王の娘:竜女)が
太郎を歓待する。しばらくして太郎が帰る意思を伝えると、
乙姫は「決して開けてはならない」としつつ玉手箱を渡す。

太郎が亀に連れられ浜に帰ると、
太郎が知っている人は誰もいない。
太郎が玉手箱を開けると、中から煙が発生し、
煙を浴びた太郎は老人の姿に変化する。
浦島太郎が竜宮城で過ごした日々は数日だったが、
地上では随分長い年月が経っていた。

浦島太郎物語の解説

現在一般的に流通しているストーリーは
おおむね以上のようなものである。 

亀の返礼は浦島太郎に対し短期的な快楽と引き換えに
生まれ育った家庭やコミュニティの人間関係を全て失わせ、
且つ(玉手箱の中身を見たいという)
知的好奇心を抑制できなかったことによる
因果応報の形式をとりながら、
人生経験を積むことなく瞬時の肉体的な
老化を経験させられた上で完全な孤独状態で
別世界に放り出されることをもたらす結果に終わっている。

苛められている亀を救うという浦島太郎の善行は
結果的に自身に不幸を招くことになり、
お伽噺として不合理な教訓をもたらすことになっている。

竜宮城はどこに存在していたのか?

物語の中では海の奥深くと記されているだけで
詳しい竜宮城の場所は現代に至るまで謎のまま、
人間は神仙の世界への憧れを持つこともあるが、
この二つの場所には越えられない隔たりがある。

人間界と異空間として存在している竜宮城の入り口神仙界は、
別物でありながら時にはふとその空間が繋がることがある。

生身の肉体を持った人間である以上、
そこの場所までは普通では行く事も出来ない。
亀の背中に乗ってそのまま海に潜らされ、
当たり前だが息が出来なくなる世界へと連れて行かれる。
もしかしたら途中で溺れ仮死状態になったのかも知れない。
現代でいうなら水中深く潜れる潜水艦とかクルマの移動が、
肉体移動として考えられる時間の経過としての壁を越える。
だが当時はそんな高度な技術や文明は考えられない。

意識が混濁して精神的は夢の中を彷徨う植物人間状態。
竜宮城での酒や料理の飲めや食えやのドンチャン騒ぎの宴は、
浦島太郎の夢や憧れや妄想も含めた煩悩の集大成だったと思われる。
ウミガメ1匹を助けたという善行1つで奢り昂ぶりで自惚れる太郎。
竜宮城でのアンバランスなほどの行き過ぎた過剰接待と、
太郎が自負している小さな善行との不釣り合い具合が気になる。

一応は命の救助には変わらない善行は善行なのだから、
命の取引としては貸借りのバランスで奇跡的に太郎は生かされる。
やがて竜宮城としての滞在時間は膨大な時が経過するも、
運良くも最初の場所へと流れつき生きて浜辺に還される事となった。
意識混濁の妄想状態だったのか、
本当の竜宮城での宴だったのかは定かでは無い。

乙姫の姿をした神様との契約で無事に元居た場所へと
太郎を帰してやる代わりに、
1つの掟としての条件を言い渡たされる。
この場所に居た証拠として玉手箱をお土産で貰うのだが、
約束としては簡単な事。決して開けてはならぬぞよ!
と時間を凝縮させたタイムマシンを渡される。

約束は守れるのか?

この男は契約という契り、
つまりは約束をキチンと守れるのかが試された。
シンプルにルールは ただ1つ 
開けてはならない玉手箱の存在だけ。
本来決して踏み込んではならない、
異空間領域に行ってしまった太郎なのです。

太郎の我慢出来ない強い好奇心は鉄の掟でもある、
開けてはならない玉手箱の約束を破りやがては蓋を開けてしまう。
不安の挙句開けてしまったのも言わば人間の悲しき性なのです。
信頼関係を放棄して約束を破ったこれらの大きな代償は、
太郎としてこの世に与えられた人生時間の全て失いました。

玉手箱の中からはモクモクと煙が立ち籠め
あっという間に人生時間が加速して流れて行きます。
細胞も衰え健康的な若さが帳消し扱いとされたのかも知れません。
最終的には魔法が解け老人にさせられたという物語でした。

第三者との関わり合いの中で、
この太郎が選択した、
人間界での本質的な行動とは
一体なんだったのか?

竜宮城での必要以上な恩恵や恩返しを受け、
また施してくれた感謝の気持ちを忘れ、
取り交わした小さな約束すら守れない。

現代の人間社会にも充分に通用する、
人間としての生き方と筋の通し方。
御伽話の本質的な教訓なのかも知れません。

生き方ももちろんでは御座いますが、
与えられた時間は本当に短いですよ!
という教えの本質が此処に在る。


Toshifumi  Kako